~酵房樂流~ 出来るまで
そもそもの始まりは、「火のある暮らし」をしたいからでした。
奄美大島の加計呂麻島。
この海で初めてのパン焼きが始まりました。
初めてパン焼きの窯を作ったのは、39歳~40歳の時。
偶然持っていた70枚の耐火煉瓦でこんな物かなと、頭をひねりながら作った小さい窯。
小さい小屋の中に入るのが一番の条件でしたので小さかったです。
在るものを使うことに重きを置いていました。
家の横の倉庫を自分で改造してパン工房の様なものを作り始める。
小さい窯でパンを焼きながら、ドラム缶PIZZA体験をしたりと日々暮らしていました。
それから4年後
こんな月の見える山の中に越すことに。
越してすぐ庭の枯れ木を燃やし、妄想を膨らませていた。
もっと大きな窯が使いたい!小屋をつくってみたい!
そのしたいことからの始まりが、山での暮らしの始まりでした。
ここにパンを焼く工房、酵房樂流をつくろうと思う反面
本当に自分に作れるのか未知の世界で不安が一杯。
まず小屋から作らなくてはならないのだけれど、日々ガラス職人として働いてきた自分は
測量などやったこともなく意味も分からなかった。
こんな風に糸を張っていたよな~という程度で、糸を張っていると
下に住む80になるというお爺さんが「そんなんじゃ測れんよ!」登場~
実はこの方は元大工で一人で自分の家も建てていた。
身体が小さいからか、なんでも工夫して力を使わずにこなしてゆく人でした。
刃物のを砥ぐのも上手くどんなノミでも抜群の切れ味にしてくれます。
一から教えてもらい基礎を作り、木材の調達・切り込み等をしてゆきます。
ここから木材の切込みが始まります。
基礎を作る前にすべての設計図を書いておいて、決めて長さに木材を切っていくことが
始めは全く想像ができませんでした。
全て準備ができましたら、組み立ててゆきます。
狂いがあると上手くはまりません。師匠のチェックも入ってイザ組み立て!
棟上げも終わり一休み。
つぎからは壁作りと内装に入ります。この壁が中々手間取って大変じかんがかかった。
物事が次第に細かくなってゆく。内へ内へと作業が凝縮してゆく。
なんとかここまで来ました。
寒い!
手がかじかんでたいへんなところです。この年は雪が30センチ以上積もって
中々溶けなかったのです。
中に入り石窯作りです。
この「あるもので」精神が後で痛い目にあった例になります。
適材適所をみきわめるのはだいじです。
庭から掘り出したでっかい石・岩を土台の壁に使います。
別にブロックでもいいのですが、お金もかかりますし石の空間が気持ちよさそうでこのようになりました。
なんとかかじかむ手を擦りながらここまで窯ができました。
お店の入り口のように見えますが、実は石窯の部屋のいりぐちです。
もともと酵房だけのつもりでして、立派な扉は石窯様用になってました。
2020・9.25
とりあえず今の「酵房樂流☆RAKURU」になるまででした。
つづく